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市のプロフィール

2014年4月1日

知多市の紹介

知多市は、昭和45年に誕生した。

沿岸には、発電所や製油所など臨海工業地帯があり、内陸部ではペコロス・フキなど農業も盛んな都市として発展をしてきた。

また、佐布里池の梅林や海水浴場の新舞子マリンパークなどの観光資産、県内最古級の岡田簡易郵便局をはじめとする文化財も多く存在するまちである。

市章、市の木、市の花

知多市民の誓い

地勢

本市は知多半島の北西部に位置し、西は伊勢湾に面し
約15kmの海岸線を有し、北は東海市、東は東浦町、
および阿久比町、南は常滑市に接している。
地形は平均してなだらかな平坦地であるが、市の中部
から東部地域にかけて、30mから65mまでの丘陵地と
なっている。気候は四季を通じて温暖であり、臨海部
工業地帯と住居地域は恵まれた緑によって区分されて
おり、住みやすい土地柄ということができる。
愛知県知多市位置

知多市の位置


 知多市の位置、面積、交通アクセス

知多市の歩み

本市域に人々が住み始めたのは新知の二股地区で、8,000年程前の縄文時代の早期のことである。二股貝塚に続く遺跡としては、森西貝塚や大草北貝塚、大草南貝塚が知られている。
弥生時代になると、原始的な採集・漁労・狩猟に加えて農耕稲作が始まり、土器もすっきりした形に変わった。
次の古墳時代中頃から、海岸の各地で製塩が盛んとなり、やがて貢物として奈良の都へも送られた。八幡の法海寺では白鳳時代の古い瓦が発見され、今に古代寺院の面影を伝えている。
また市域には、平安時代末からの鎌倉・室町時代にかけて栄えた、日本最大規模の知多古窯址群の一部があり、多くの古窯址が分布している。
江戸時代になると、16の村の村高も定まり、ため池の築造や新田開発も行われて生活も安定してきた。しかし、人口の増加に比べて耕地面積は延びず、人々は黒鍬・瓦作り、農鍛冶、万歳(まんざい)など身に付けた技で出稼ぎに行った。江戸時代も後半になると人々の教育に対する要望が高まり、どの村にも寺子屋が開かれていた。
明治の文明開化とともに村は変わり始めた。特に、知多木綿の生産地として順調な発展をしてきた岡田村は、明治36年、知多市域ではじめての町制を採用した。
大正、昭和に入っても農業、漁業、繊維産業が主な産業であったが、昭和37年10月より始まった臨海部の埋め立て、それに伴う企業の進出によって、町の形態は大きく変貌した。
昭和45年9月に市制を施行し、現在では中部圏の中枢である名古屋市の周辺都市として、名古屋南部臨海工業地帯の南3区、南4区に、火力発電、石油精製、都市ガス供給、造船、食料品、および飼料製造などの企業が操業している。
平成9年には、南5区に新舞子マリンパークがオープンし、多くの人が訪れている。
一方、背後丘陵部の宅地開発も進み、市制施行の時に39,834人(昭和45年10月1日、国勢調査)であった人口は、昭和49年の4月に5万人、昭和60年の4月には7万人、平成8年11月には8万人に達し、住宅都市としても良好な発展を続けている。

知多市合併図

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